連絡先がわかる範囲で出した母の親しい友人への手紙
母長村丙子は一月一日午前一時四十三分に八十四歳にて急逝いたしました。ご通知が遅れましたことを深くお詫び申し上げます。葬儀は遺族と近親者のみで行いました。
十二月二十五日午後、体調不良のため訪れた病院で膀胱癌とわかりました。腎臓が通常の二十分の一しか機能せず人工透析が必要なレベルで、治療をしなければ一週間くらいしかもたないという医師の診断でした。しかし母は治療はせず自宅で過ごすことを希望しましたのでそのまま家に帰ることにしました。母は私たちに葬儀のこと、今後のことを伝え、思い出話に笑い、懐かしみ、とても余命数日と言われた人とは思えない様子で、もしかするとこのまま暫く大丈夫なのでは・・・と家族に希望を抱かせたほどです。亡くなる二日前から体調は悪化し、三十一日の夜に救急車で病院へ。その四時間後、「みんなにありがとうと伝えてね」と言って天に召されました。
家業の設計事務所を支えたのち父亡き後はマンションでの生活を選択し、お茶、ヨガ、太極拳、旅行、料理などの趣味を大いに楽しみ、たくさんのお友達に支えられて一人暮らしを満喫しておりました。生来の病院嫌いが急逝に繋がりましたものの、母は望み通り入院もせず家族とともに最期を迎えることができ、一片の後悔もないとのことでした。
たった一週間でしたが、母と語らい看護の時間を持つことができたのは家族にとってせめてもの慰めです。
ここに故人が生前賜りましたご厚誼に深く感謝を申し上げ、書中をもちましてご通知申し上げます。なお、お香典につきましては故人の遺志によりご辞退させていただきたくお願い申し上げます。
令和三年一月十日
喪主 長村 寛行