自宅04:30
185,856km
北陸自動車道流杉PA先の常願寺川辺り。日本画みたいな山と朝焼けの空。
運転席側は墨絵の様な濃淡の山々
磐越自動車道は片側1車線でたまに追い越し車線。ペースメーカーが遅いと大名行列になっていた。
自宅から斎藤清美術館まで4時間15分・387km
07:50阿賀野川SAで休憩
福島県河沼郡柳津町柳津下平乙187
0241-42-3630
斎藤清美術館 館名石
石に文字を彫っただけじゃ地味だしお客さんも少ないので大きな看板を作ってみました・・・的な?
職員の方が植栽に水をやっていた、僕たちが帰る時もまだ作業していた。多分2時間くらいは掛かるんだと思う。
エントランスアプローチ。エントランス右側の手摺の高さが異様に高い。
外国の美術館の鷹揚さと比べると日本の美術館は意味がわからないほど禁止事項が多くて参る。内部の撮影も殆ど禁止されているので外部しか紹介できない。左が展示室1・右がエントランスと展示室2。その間に池がある。池の上のブリッジで二つの建物が結ばれている。本体(左右の建物)はタイルを貼った重いデザインになっている。ブリッジはその本体を結ぶ役目で空中に浮いている。こういうシチュエーションだとブリッジは軽いデザインで鉄とガラスなどでつくって奥の山が透けて見える様にするんじゃない?そのまま本体と同じタイルを貼り回してって・・・どういう意図なんだろう?この美術館はかなりお金が掛かっているんだけど「もったいない」使い方になっていていらっとする。僕は斎藤清氏の80歳を過ぎてからの会津の冬シリーズは雪のフワッとした質感がとても好きなんだけど、この美術館の建物は斎藤清氏のイメージと重ならない。
斎藤清美術館のチケット
斎藤清美術館から栄螺堂まで30分・27.2km
10:00栄螺堂10:25
福島県会津若松市一箕町大字八幡弁天下1404 0242-22-3163
186,267km
栄螺堂へ
アプローチは右奥からで栄螺堂への階段はこの大きな杉の奥側。
階段を上って正面に栄螺堂が建っている
横べーション
正面の彫り物。蛇が三匹絡みついている。
蛇の絡みつき方
彫り物の裏側
国指定重要文化財なんだけど、そのまま土足。二重らせんなのでこの上を小学生の団体がどかどかと音を立てて乱暴に歩いているのがまともに聞こえてきて、こちらが建物の維持は大丈夫なのか心配になってしまう。
最上部。栄螺堂の建物は入り口から入って登っていくと、そのまま下りになって外に出る二重らせんでとても面白い。ネットで調べると栄螺堂は「お参りすれば札所の百観音を拝んだのと同じ功徳がある」といわれているらしい。実際に体験してみると出口か単に後ろ側に出るだけなのがとても惜しい。出た時にいい感じの景色が広がっていると堂内を廻った先に功徳が得られそうな気がするのだが・・・。建物本体のデザインで満足しちゃったのか。
栄螺堂のチケット
栄螺堂から大内宿まで45分・32.5km
11:10大内宿12:30
福島県南会津郡下郷町大字大内
昼食のそばを山本屋で
大内宿へ向かう国道118号線沿いにはかつて萱葺き屋根だったなごりの住宅が並んでいて壮観。
大きな駐車場に車を置いて歩いてアプローチする
宿の入り口と一番奥の家は平入りだけどその他は通り沿いに妻側が並ぶ
こんな景色は江戸時代から殆どかわっていないんだろうね
道の両側に流れる用水には野菜やラムネが冷やされていた
火の見櫓
箸じゃなくて葱で蕎麦を食べるという「
ねぎそば」のためにすぐ側でネギを栽培しているのがいい感じ。
茅葺き屋根に生えた雑草
苔むして来ている屋根
郵便屋さんのおばちゃんに「ねぎそば」じゃなくて普通の蕎麦の美味しいのはどこ?って聞いて教えてもらったので山本屋さんへ。メイン捨てリートには妻側が面していてお土産などを売っている。
平側に回ると玄関がある
玄関を入った三和土の土間には蓑や橇がかけられていた
縁側
室内は扇風機だけですごく涼しい。外は猛暑なのに・・・。
メインストリートの両側にある生活道路側も見てみる。茅葺き屋根は谷の部分から傷んでくるのがわかる。谷の部分に雑草が茂ってきている。
裏道側には蔵や車庫、サイディング張りの今時の住宅が並ぶ。
これはいい感じに残っている。裏道側が蔵でメインストリート側が茅葺きの旧旅籠。蔵の壁には薪が積み上げられている。
メインストリート突き当たりの脇の階段を上ると宿を見おろすことができる
立派な道路だねぇ。冬期に両側に雪が山になってもちゃんと通れる幅ってことか。
用水から土の道に水を撒いていた。そこを通ると冷やっとして生きかえる。
宿を見おろす人々
かつて旅籠だった建物が資料館になっていたので見学する
茅葺き屋根の葺き方が展示されている
街並み展示館のチケット
大内宿から三春まで1時間50分・85.3km
花のよこやまで線香と花を買う
14:20龍穏院15:10
福島県田村郡三春町荒町160 0247-62-3603
前回は住職が出張中だったので本堂には入らなかったが今回はここでお経をあげていただく
卒塔婆も書いておきました・・・といわれてびっくり。金沢では「卒塔婆」を立てる習慣がないのでこの意味がわからない。
龍穏寺は三春藩主秋田家の菩提寺になっているとのこと。秋田家の位牌は特別の部屋に奉られていた。
卒塔婆の裏側の一番上。意味がわからないが梵語か。その下は「諸行無常 是生滅法」と書かれている。
その下には「平成二十七年八月四日建之 長村寛行氏」と書かれていた
卒塔婆の表側には「法伽羅婆阿經日 深入禅定 見十方仏 夫以為大典院建隆亮清居士冥福菩提塔」と書かれていた。お墓の後ろ側にある卒塔婆立てに立てておいた。隣のと上の方の文字が違うんだけど・・・。
花をたてて線香に火をともしてお参りした
お墓の正面。毎回新しい建物が完成すると大高さんに見てもらうために上京していた。誉めてくれないのだが「次はいつだ?」と聞いてくれた。「次は何年か後です」というと「そうか。頑張れ」と。最後のエムビルの時は初めて「よくやった」と誉めてくれた。これまでと同じ様に「次はいつだ?」と聞かれて、先の仕事がないので「多分10年くらいあとになるかもしれません」と言った。「10年後だと死んでいるじゃないか!もっと早くしてくれ」と言われたのだが、間に合わなかった。もしかすると大高さんはたまに見せに来る僕を楽しみにしていたのかもしれない。今回のお墓参りでも大高さんに見せるものはない(仕事がないので野菜を作っているから)けど、また
何年か後に顔を見せに来るわ。
龍穏時から不忘閣まで1時間40分・117km
安達太良SAで休憩
16:30白石IC
GS 25.4L 186,506km
宮城県柴田郡川崎町青根温泉1-1 0224-87-2011
中央が不忘閣の玄関
客室からの眺め。左の建物の奥で飛び出している部分の2階を見たかった
2階が見たかった部屋。その1階が洗面所。
見たかった部屋は談話室的空間
庭に飛び出した様な配置で気持ちがよさそうな部屋になっている
部屋だと思っていたら廊下の一部が広がった囲われていないオープンスペースだった。この建物はもともとは伊達藩主を警護する家臣の控え室として使用されていたのが明治39年に焼失し、翌年復元したとのこと。
夜の談話室
談話室から客室を見る
客室の2階が大広間になっていて、その階から土地の傾斜沿いに長い階段が延びている。上には離れ風の客室がある。階段が長いため割安らしい。ホントは階段上の部屋は僕にとって魅力的だったんだけど、夏は暑いし何度もこの階段を上り下りしてると汗だくになっちゃうから諦めた。
談話室の反対側(道路側)こちらの2階にも同じ様な空間がある
中庭側よりシンプルでちょいモダンな感じ
こちらも廊下が広がったオープンスペース
旅館の玄関側を見る
旅館の玄関と反対側を見る
1階の洗面所(今は使っていない。蛇口から水は出なかった)
洗面所の左側
洗面所の左側の外部
浴室が6つあっていくつかが貸し切りにできる。今日は4つの風呂が貸し切りになっていた。そのうち3つの「大湯」新湯」「蔵湯」はフロントに3枚の貸し切り札があって、それを持ってきて風呂の入り口のスタンドに置けばいい。「亥之輔の湯」はアプローチにある使用中の看板を入り口に置けばいい・・・というシステム。でも、おばちゃんはそれを無視して戸を開けて「あらっ」と言う。気まずそうな顔もしない。シャワーのあるのは左の大小の浴室だけでそれ以外は湯に浸かるのみ。そうすることでちょっとデザイン性の高い浴室がつくれたということだろうね。
亥之輔の湯の看板照明
亥之輔の湯のサイン
テラゾーでの現場施工のL字型の湯船
半屋外の野天風呂
湯船の隣のここで着替える。服を着る時階段に頭をぶつけたりします。
大小に仕切って時間で男女が入れ替わるシャワーと水栓のある浴室
「大湯」。左に置いてある籠で着替える
右奥の階段から大湯にアプローチする
左が浴槽。右の階段上からアプローチ。右手前で着替える。
薄暗い中に掛け流しの湯が落ちる音だけが響いている
湯口から落ちた湯が波をたて、その波の影が網状になって浴槽の底におちる。影は波と共に動き、見ていて飽きない。
貸し切りで広い浴槽に浸かるのはとても贅沢。お客さんの多い季節は男女の入れ替えになりそうな気がするが、どうなんだろう。
新湯の貸切札
階段を下りて脱衣室にアプローチする
この石は江戸時代からのものだとのこと。湯はぬるめだけど浴室は石から出る遠赤外線でサウナ的。室温に比べてお湯はぬるめ。
新湯側から庭を挟んで蔵を見る。いくつかの蔵が並んでいて、蔵の入り口は雪囲いの様に囲われている。
上の写真の蔵と蔵の間には社がまつられていた
夜はコントラストがついて、「お参りしなくちゃ通さんぞ!」って感じ。
蔵の入り口手前は囲われて廊下の様になっている。その一番奥が「蔵湯」。
夜の方が雰囲気が出る。手前の照明器具は色温度が高いちょっと冷たい固い感じの色(床仕上げも石で似合っている)、奥の「蔵湯」の入り口は色温度の低い暖かみのある色(蔵の内装は木で似合っている)の照明計画になってメリハリがついている。
蔵湯の入り口付近
蔵湯入り口のサインと照明器具
蔵の床は青森ヒバ(だと思う)。その上にヒバか桧の大きな浴槽がど〜んとおいてある。浴槽と反対側には脱衣籠が置いてある。
浴槽
蔵の裏側
いくつかの部屋が入浴後の夕涼みのために開放されている
ここも解放されている休憩部屋
板張りの休憩室
明治40年再建の建物2階で夕食をいただく
夕食メニュー
秘湯 葉月の湯宴
食前に青梅ジュース
先付 一、白芋茎と海老の胡麻和え
二、玉蜀黍豆腐
真夏 鮎一夜干し
八寸 手長海老
かすべ煮凝り
はも南蛮漬け
鬼灯とまと
苦瓜塩こうじ和え
鱸枝豆焼き
伊達椀 馬鈴薯すり流し 蟹しんじょう
お造り 蔵王美澄鱒 帆立 中とろ 甘海老
凌ぎ 青根手打ち蕎麦
焚合 蛸柔煮 小芋 蓮芋 木の葉南京
焼物 丸茄子とまと焼き 甘唐辛子焼浸し
温もり 日高見陶板焼
揚物 太刀魚市松揚げ やんぐこーん
蒸し物 鱶鯺風味茶碗蒸し
酢の物 やり烏賊酢味噌掛け
お食事 宮城産ひとめぼれ
香の物 三種
止椀 仙台麩と水菜の味噌汁
水菓子 抹茶ばばろあ すいか
青根温泉湯本不忘閣 料理長 伊藤明
夕食を食べた部屋の中庭側廊下からの夜景