1999年11月21日 Sun

東京の建築

港北ニュータウン→上野駅で中永クン・堀川クンと待ち合わせ→法隆寺宝物館→芸大美術館→東京フォーラム→代官山→港北ニュータウン

お上りさん的建築見学コースになった。久しぶりの上京だったので見る建築を選ぶには迷った。勉強になりそうなのをピックアップして廻ることにした。芸大美術館は一時間待ちの行列だったので建物の廻りをぐるっと回っただけで中に入るのは諦めた。


法隆寺宝物館
東京都台東区上野公園13-9
谷口建築設計研究所

久しぶりに素晴らしい建築に出会えることができて、盆と正月が一緒に来たくらいの嬉しさを感じることができた。 これまで、美術館を観に行くと展示室では美術品を観るくらいしかできなかったのに、宝物館では展示方法が勉強になっておいしさ二倍って感じ。 ああいう、建築を観ると元気が出るね。

宝物館は、ある意味『和室の床の間』的、外観を鉄骨で造り出したように感じた。また『抜ける』という感覚が建築的ハードウェアに盛り込まれて、それは、ちょっと障子を開けてその部分から向こうが見える・・・的な・・・。それが、左正面奥へ、右横へ、ちょっと奥上へと三方向(フレミングの法則の親指・中指・人差し指をたてた感じ)に立体的に抜けているという面白さを与えているように感じた。見学しながら、その端正さにあたかも上品な懐石料理をいただいているような感覚を持った。

展示方法はこれまでの展示ケース(手を触れないように美術品が入っているガラスケース)のあり方と照明のあて方が素晴らしかった。展示ケースの天井部分はフロストガラス(すりガラスのようなざらざらした半透明のヤツ)になっていて、天井の照明がそのガラスにだけ当てられて、そこに当たった光は柔らかく拡散してケース内の小さな30cm程度の仏像を照らし出す。台に埋め込まれた照明器具から小さな(10mm×3mm)スリットを通しても仏像を照らしている。そうすることによって、普通上からの光の当たらない下から見てもちゃんと光が当たって細部まで観察することができるわけ。部屋の中が暗く、また鑑賞しようとするガラス面に光が当たらないためにガラスはあくまで透明さを保ち反射して見づらいということはないし仏像に手で触れられそうなほどガラスの存在感は消失していた。

美術品の名前は展示台の左横に貼られていた。これは展示室に入ったときに林立している仏像を、それだけ見せるという意味と・・・。普通、人々は美術品の名前を見てから鑑賞するという反対の見かたをしてしまう。本来なら美術品を見てインプレッションを感じることが大切でその名前や作者を見てからというのは、ある種のブランド志向でもあると思う。左横に名前が貼られているということは、まず美術品である仏像と対峙させる。次に、名前を見るために左に身体を移動させるわけ。で、そのまま仏像の横や後ろもちゃんとごらんなさいよ・・・と無言の元に動かされているような感じがする。 そういう、人々を空間内において指図なしに導くことは建築家として最高の技術ではないだろうか ?これは、建築家だけでなく展示・照明・学芸員など最高に優秀なスタッフみなさんの努力の結果だろう。


東京国立博物館
東洋館/谷口吉郎1968年
本館/渡辺仁1937年
表慶館/片山東熊1908年


東京国際フォーラム
東京都千代田区丸ノ内3-5-1
ラファエル・ヴィニオリ
ガラス棟/大林・鹿島・安藤・銭高・五洋・藤木・森本・地崎・藤村建設JV
ホール棟/大成・戸田・清水・間・鉄建・日産・三菱・大木・小田急・古久根建設JV
SK1989/12・SK1993/06・SK1996/08・NA911111・NA970217・NA960729・NA961021

こけおどしの大げさな構造が面白かった。建築的興味と言うよりも街中に造った公開空地として評価したい。立派で枝振りのいい最高のケヤキ並木があり、ああいう樹があるだけでもあの空間はよく見える。
しかし、スロープを登って上の方へ行くとちょっと足がすくむ思いだった。僕は、三階建てくらいまでしか監理できないなぁと悲しくなった。

外国旅行しても『とりあえずな !』といって必ず塔には登って征服してくるけど実は怖い。以前に鉄骨造の監理をしたときには上に登るのが怖くてビビリまくりだったもの。ホントは足場ができる前に登って見たいけど、怖いので足場ができてからにする。それでも手に汗をかくくらい手摺をしっかり握りしめている。

東京フォーラムでは、スロープの床以外手摺はガラスだったので通路の真ん中を歩いた。透明なガラスでは、『こわ〜』だもの。和泉に『専門家なのに怖がってる〜』といわれたけど、職業なんか関係なく怖いものは怖いよね。

ところが、屋根の上(屋根もガラスでできている)に上り、ホースで水を撒きながらガラスの掃除をしている人が下から見えるわけ。それに気が付いた数十人にとってそのとき彼はヒーローだった。残念ながら彼はそれに気付いていないと思うけど・・・。いや、実際は上からガラスを通して口をポカ〜ンと開けて見上げている僕たちに気付いていたかもしれないね。

吹抜のガラス張りの中は上の方に見える鉄骨が船の底のように見える。中間階に立つと海の中にでもいるような感覚になって、上を見ると海上の船底を。また、下の方を見ると小さく動く人々が海底の虫か何かのように見えて不思議な感じがした。

今回の旅行で東京は私がいた10年前から人と車が異常に増えているような気がした。人が正常で平静な気持ちを保つのは難しいのではないかと思うんだけど。首都高で果てしない渋滞の中で叫びだしたいような気がして都会の人は我慢強いなぁと呆れちゃったよ。

それは、クラッシュの一歩手前っていう感じで、そこに住んでいるといつもの風景だからそんなに変化に気付かないけど、一歩外から見るとやはり普通ではないと思います。

京王新線に乗るため西口を抜けて南口へ行かなければならなかった。ちょうど新宿の火事の時に野次馬をかき分けていた。その野次馬の多さに驚ろいた。暇な人が多いのか、スカッとすることがないからそういうことで紛らわせるのかどちらにしても異常な人数だったぞ。